|
瓦の紀元は今のところ明らかになっていないのですが、メソポタミア文明(紀元前3000年)の発祥の地、チグリス、ユーフラテス川添い(現イラク)あたりではないかと思われています。(現存する古瓦は無い)
それがシルクロードを経て中国へ。(周時代(紀元前1000年)の古瓦が出土)
日本における瓦の歴史は、崇峻(すしゅん)天皇元年(西暦588年)仏教の伝来とともに、僧、2人の寺工(てらたくみ)露盤(ろばん)博士、4人の瓦博士「麻奈文奴(まなもんぬ)陽貴文(ようきもん)陵貴文(りょうきもん)昔麻帝彌(しゃくまたいみ)」が寺院を作るため朝鮮半島の百済から遣わされたことが日本で最も古い歴史書「日本書紀」に記されている。
瓦博士は瓦を成型する技術、高温で焼き上げる技術、そして瓦を屋根に葺く技術を携え日本へやってきた。
崇峻天皇5年(592年)仏教の推進派だった蘇我馬子は、大和平野南部に飛鳥寺(法興寺)を建立した。
その屋根に葺かれたのが4人の瓦博士が焼いたと思われている瓦だという。
その後、飛鳥寺は養老2年(718年)平城京遷都にともない奈良へ移され元興寺(がんこうじ)となる。
現在も元興寺には瓦博士が焼いた日本最古の瓦が葺かれている。元興寺極楽坊の本堂と禅堂の屋根にはところどころ赤みのかかった瓦が見える。
赤く見えるのは、作られた際、瓦が還元しきれていなかったことを表している。 |
|
1400年前の不揃いな瓦が今も元興寺を風雨から守っている。
そんなことを思った時、私たちが今手がけている仕事。1400年とは言わないが、せめて100年の耐久性のある仕事をしたいと思う。そう思いながらああやってみたい、こうやってみたいと考えを巡らせていると瓦の仕事はあらためて面白い仕事だと感じています。
|
|
|